2008年03月30日

粉河寺、青洲の里、丹生都比売神社…

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@粉河寺境内には、あちこちでさくらが満開直前A参道手前の神社で樹齢千年のクスノキさんB境内にも存在感のあるクスノキさんC小川沿いの八重ざくらは満開

 花見日和となった29日、まだ行く機会がなかった粉河寺(紀の川市粉河)までドライブしてきました。西国三十三カ所の第三番の名刹にふさわしい落ち着いた雰囲気で、境内は桜が五分から7分咲き、最高の時間を過ごせました。
 この日の陽気に誘われて「青洲の里」(同市西野山)から橋本市の「よってって市場」、さらにはどうしても行きたかった「丹生都比売(にうつひめ)神社」(伊都郡かつらぎ町上天野)へ。
たまたま社務所におられた丹生晃市宮司に由来を解説していただく思わぬ光栄にも浴し、紀北の春を満喫することができました。

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@「花かおる 風かおる」青洲の里では、スモモの花が満開A医聖・華岡青洲の住居兼診療所「春林軒」では、リアルな再現シーンもB青洲の里には近代的なフラワーヒルミュージアムもC「神仏融合始まりの地」、高野山の守護神としても知られる丹生都比売神社の厳粛な境内D神様が渡る橋として古い絵図に描かれた姿がそのまま残されている太鼓橋

 風猛(かざらぎ)の 名に似ぬ里の 小春かな
 山号の風猛山(かざらぎさん)からとった句碑が印象に残りました。
 粉河寺は、天台宗系の粉河観音宗総本山で 、創建は、 (伝)宝亀元(770)年という名刹。西国三十三カ所の第三番札所とあってこの日もお遍路さん姿の参拝客や花見客でにぎわっていました。
青洲の里にも足を延ばしました。「花かおる 風かおる」というキャッチフレーズ通りの素晴らしい施設でした。医聖・華岡青洲(はなおか せいしゅう、1760−1835)は、江戸時代の外科医として世界で初めて乳癌の麻酔手術を行ったことで知られる。
 賀郡那賀町平山(現在の紀の川市平山)に生まれ、1782年に京都に出て、吉益南涯に古医方を、大和見水にオランダ外科を、さらに見水の師・伊良子道牛が確立した「伊良子流外科」(古来の東洋医学とオランダ式外科学の折衷医術)を学び、1785年帰郷して父・華岡直道の後を継いで開業した、という。
 「春林軒」は、住居兼診療所兼医学校で、母屋や蔵は当時のまま復元されています。青洲は、ここで手術での患者の苦しみを和らげ、人の命を救いたいと考え麻酔薬の開発を始め、曼陀羅華(まんだらげ)の花(チョウセンアサガオ)、草鳥頭(そううず・・・トリカブト)を主成分とした薬草に麻酔効果があることを発見。動物実験を重ねて、麻酔薬を完成。人体実験の段階で行き詰まるが、実母・於継と妻加恵が実験台になることを申し出て、数回にわたる人体実験の末、於継の死・加恵の失明という犠牲の上に、全身麻酔薬「通仙散」を完成させた、という。
 さらに文化元年(1804年)10月13日、60歳の女性に対し通仙散による全身麻酔下で乳癌摘出手術に成功。これが世界初の麻酔手術で、1846年のアメリカでのジエチルエーテルによる麻酔手術よりも40年以上前のことだったという。
 当時華岡青洲の名は知れ渡り、全国から患者はもちろん入門を希望する医学生が殺到したことなど、「春林軒」の各部屋には、手術の風景や麻酔の実験風景など人形や映像などでリアルに再現されています。
 和歌山の小中高校生は必見ですし、全国の医学生も必見、必修地だと強く感じました。「医学医療学習のメッカ」にし、医療の道を見失っている医師や厚生省のお役人にも、「青洲の里詣で」をさせたいものです。
 またそんな難しく考えなくても、周辺はスモモや桜が咲き誇り、ウグイスが心地よく鳴いていました。
 また観光として「これはヒット!」と思わず手をたたきたくなったのが、フラワーヒルミュージアムの中のレストラン「華」(電話代表0736−75−6008)。「おいしく食べて健康増進 百歳時代を目指して健康料理」とのキャッチフレーズで、紀ノ川周辺で採れた豊富な農産物を使った「健康おもてなしバイキング」(お昼のみで大人1人1380円)が楽しめるため、家族連れや女性で賑わいを見せていました。
 
 またその存在がずっと気になっていた「丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ、伊都郡かつらぎ町上天野)」も訪ねました。
 ラジオ番組で一度お会いした丹生宮司が社務所におられ、由緒を解説していただきました。
 式内社で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁の別表神社となっている。別称天野大社、日本全国の丹生都比売神を祀る神社の総本社であるそうです。高野山とは関係が深く「神仏融合始まりの社」として2004年7月、『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界遺産に登録されました。
 また空海が高野山金剛峯寺を開く際に神領の一部を寄進したと伝えられ、高野山の鎮守神とされた、など和歌山の宝物のような神社です。
 4月20日(日)には朝10時から、ご祭神の女神さまに花を供え春の訪れを祝う大祭の花盛祭(はなもりさい)があるというのでぜひ再訪したいと思っています。

posted by wbs at 11:51| Comment(0) | ディスカバーワカヤマ
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