2010年07月03日

高嶋仁監督の甲子園通算最多勝利を祝う会

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(主催者のあいさつをする藤田清司・智弁学園和歌山高校理事長・学校長 左は高嶋監督ご夫妻)
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(感謝のあいさつをする高嶋仁監督、左は紀久子夫人)

智弁学園和歌山高校野球部の高嶋仁監督の甲子園通算最多勝利を祝う会が3日,和歌山市内のホテルグランヴィア和歌山で開かれました。高嶋監督は、今春のセンバツ1回戦で富山・高岡商業に勝ち、甲子園史上単独での最多記録となる59勝目の勝利を達成、この偉業をたたえようと学校側が主催して祝賀会を開いたものです。
 私より2歳も年上の高嶋監督の「体が続く限り、首といわれるまで甲子園の勝利を目指したい」という力強い言葉。私もこの日ちょうど62歳の誕生日でしたが、元気と勇気を貰いました。


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(メンバー表のエピソードを語る元箕島高校監督の尾藤公さん)
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(高嶋監督の色紙)

 祝賀会では、野球王国の和歌山らしく高校野球関係者や報道関係者、学校関係者ら約200人が駆けつけ、主催者の藤田清司・理事長、学校長が「この祝賀会は、わが子のことのように高嶋監督の日本一の勝利を待ち望んでいた先代理事長の遺言でもあります」とあいさつ。
 来賓のあいさつの中では、野球王国和歌山を築いた大先輩の元箕島高校監督の尾藤公さんが、対戦相手として戦った高嶋監督がいつも交換する選手メンバー表を監督自ら直筆で書いていたことに触れながら、「風格ある字というか、心のこもった字だった。今後後輩の監督は、野球云々ではなくこうしたメンバー表が書けるように人間性を磨いていかないと超えられない」と、高嶋監督の素晴らしい人間性を讃えました。
 これに対し、高嶋監督は「59勝は、一人でやったのではなく、いろんな人に支えられて出来たことを今日改めて感じています」と感謝の言葉の後、尾藤さんの存在に触れ「私が和歌山に赴任した年は、前年に簑島高校が甲子園で春夏連覇を果たし、尾藤監督は雲の上の存在だった。尾藤野球を勉強するには、練習試合をするしかないと申し入れ、それを受け入れてくれた時はうれしかったし感謝している」とあいさつ。野球王国の新旧立役者のエールの交換は、見ものでした。
 またこの日の祝賀会には、ご夫人の紀久子さん、お二人の子どもさんも参列されていましたが、学校関係者に取材すると、長崎県五島市出身の高嶋監督が、日本体育大学卒業後、奈良を経て和歌山に定住されるようになるには、大学が一緒で和歌山・粉河出身で教員をしていた紀久子さんを追いかけてきたから、という説が。
 お祝いの席ですが、ご本人に直接お伺いすると、「そうです。私が追いかけてきました」とあっさり“自供”されていました。
 和歌山の野球王国の伝統を引き継ぎ、甲子園の勝利日本一の監督を生んだ影の功績者は、紀久子夫人ともいえるな、そんな楽しいことも考えながら愉快な祝賀会でした。


和歌山放送ニュース再録
◎智弁和歌山・高嶋監督の甲子園最多勝を祝う会

 智弁学園和歌山高校野球部の高嶋仁(たかしま・ひとし)監督の甲子園通算最多勝利を祝う会が、きょう(3日)和歌山市内のホテルで開かれ、関係者らが高嶋監督の偉業をたたえました。
 智弁和歌山の高嶋監督は、今年春に開かれた「第82回選抜高校野球大会」の1回戦で富山・高岡商業に勝ち、甲子園史上単独での最多記録となる59勝目を達成しました。この栄誉をたたえ、祝意を表するため、学校側が主催して祝賀会が開かれたものです。
 きょう(3日)午後5時から、和歌山市のホテルグランヴィア和歌山で開かれた祝賀会には、高校野球関係者や学校関係者らおよそ180人が出席しました。あいさつで高嶋監督は「59勝は、多くの人達の支え、まずは選手の頑張りがあったからで、自分一人で取ったものではない。これから何勝できるか分からないが、辞めろと言われるまで監督を続けたい」と、喜びと感謝を述べました。また来賓で出席した元箕島高校監督の尾藤公(びとう・ただし)さんは、高嶋監督が直筆でメンバー表を書いているエピソードに触れ「高嶋さんのメンバー表からは人間性が感じられる。監督たるものは、立派なメンバー表を書けないと高嶋さんを超えられない。」と、高嶋監督の偉業を讃えました。
(2010年7月3日(土) 18:39)
posted by wbs at 23:42| Comment(0) | 和歌山元気印
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