2011年03月09日

尾藤さん安らかに!!

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 箕島高校の野球部監督として春夏連覇を含む甲子園での4度の大会制覇という偉業を果たした尾藤公さんの葬儀・告別式が9日正午から有田市で営まれ、私も参列しました。和歌山放送では、監督時代の取材はもちろん亡くなる直前まで野球解説や特集番組、シンポジウムなどひとかたならぬお付き合いをしていただいており、68歳の若すぎる死が残念でなりません。葬儀会場での「尾藤スマイル」に感謝とお礼を申し上げお別れをしてきました。心からご冥福をお祈りいたします。


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 葬儀会場は、箕島高校のすぐ隣り。ユニホーム姿の後輩の野球部員や全国から野球関係者らが多数駆けつけ、会場周辺は長蛇の列が出来ていました。
 会場には、「甲子園の最高試合」といわれる1979年夏の3回戦、石川の星稜高校との延長18回の死闘のビデオが流れ、名勝負の思い出の写真やユニホームなどが飾られていました。その偉大な功績に比して、展示されている尾藤さんの監督時代のユニホームがあまりにも小さいのが印象的でした。
 
◎尾藤さんの告別式、教え子らが別れを惜しむ

 箕島高校の野球部監督として春夏連覇を含む甲子園での4度の大会制覇を果たし、今月6日に68歳で亡くなった尾藤公さんの葬儀・告別式がきょう(9日)正午から有田市で営まれました。告別式には尾藤さんの教え子や野球関係者らが多数参列し、箕島高校野球部OB会会長の児島昭人さんが「甲子園という夢をありがとうございました」と弔辞を読み上げました。そして、選手を見守る笑顔、いわゆる「尾藤スマイル」で甲子園に多くの足跡を残した尾藤さんとの別れを惜しみました。また、1979年夏に尾藤さん率いる箕島高校と延長18回まで戦い高校野球の歴史に残る名勝負を演じた石川・星陵高校の山下智茂総監督も参列し、冥福を祈っていました。
(2011年3月9日(水) 15:34)

◎尾藤さんの死を悼んでコメント

 箕島高校野球部元監督の尾藤公さんが亡くなったことをうけて、生前、親交のあった関係者からはその死を悼む声が相次ぎました。箕島高校OBで元西武ライオンズ監督の東尾修(ひがしお・おさむ)さんは「京都の平安高校に進学するつもりだった私を熱心に誘ってくれたのが尾藤さんでした。「一緒に甲子園にいこうや」という熱い言葉が今でも耳に残っています。野球殿堂入りまでさせてもらった私の、野球人としての第一歩を踏み出させてくれた恩師です。思い出がありすぎて、今は言葉が出てきません」という談話を発表しています。また前の和歌山県高校野球連盟会長で箕島高校時代に野球部長をつとめ尾藤さんとともに甲子園に7回出場した田井伸幸(たい・のぶゆき)さんは和歌山放送の取材に対し「先週会って元気だったのでこんなに早く逝ってしまわれ残念です。野球一筋、全身で野球と向き合ってきた人です。甲子園での石川・星稜との一戦が一生の財産となりました」と話しています。また田辺市在住のノンフィクション作家、佐山和夫(さやま・かずお)さんは尾藤さんについて「野球の基本に忠実でチームワークを重視する“箕島野球”に学ぶところが多い。箕島の活躍で和歌山のほかの学校が発奮し、野球レベルの底上げにつながりました。全国の高校球児に大きな影響を与えた人です」と尾藤さんの死を悼みました。また夏の甲子園で延長18回を闘った石川・星稜高校の山下智茂(やました・ともしげ)総監督は系列大学の野球部の合宿で滞在中のみなべ町で悲報を知りました。山下監督は「きょう見舞いに行こうと思っていた。兄貴のような存在で、人生観や野球感で大きな影響を受けました。ただ残念というほかない」と悲しみに暮れました。
(2011年3月6日(日) 17:50)


◎箕島高校野球部元監督の尾藤公さんが死去

 県立箕島高校野球部の監督として1979年春夏の甲子園連覇を果たした尾藤公(びとう・ただし)さんがきょう(6日)午前3時37分、がんのため和歌山市内の病院で亡くなりました。68歳でした。
 尾藤さんは有田市の出身で春のセンバツ大会に3回、夏の選手権大会に1回、全国制覇を果たしました。とくに1979年夏の3回戦、石川の星稜高校との延長18回の死闘は高校野球史に残る名勝負として語り継がれています。1995年夏に監督を退くまで甲子園に春に8回、夏に6回出場し、通算35勝を挙げました。エラーをした選手を常に笑顔でベンチに迎える尾藤スマイルは有名で和歌山をはじめ全国の野球指導者に影響を与えました。監督退任後は日本高校野球連盟常任理事などを務めたほか、和歌山放送の高校野球中継の解説などとしても活躍しました。和歌山放送ではおととし(2009年)尾藤さんの野球人生を追った「野球にかけた人生 尾藤公さん」を制作し、日本民間放送連盟賞で優秀賞を受賞したほか、去年9月には箕島高校と星稜高校の当時の選手らが、阪神甲子園球場で31年ぶりに再び試合を行なった模様を中継しました。尾藤さんの通夜はあさって(8日)午後7時から、また告別式は9日の正午から有田市箕島のフューネラル有浄(ゆうじょう)会館でとりおこなわれます。喪主は長男の強(つよし)さんです。
(2011年3月6日(日) 11:15)
posted by wbs at 16:51| Comment(0) | 和歌山の各界トップ
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