
28日和歌山市内で開かれた霊山顕彰会和歌山支部(南出和寛支部長)の講演会で、幕末維新史に関する評論で知られる霊山歴史館学芸課長、木村幸比古さんの話を聴く機会がありました。その中で印象的だった言葉です。「飛耳長目」は、「ひじちょうもく」と読みます。木村さんは、最近「吉田松陰の実学―世界を見据えた大和魂」(PHP新書)を出版、講演会も同じテーマです。木村さんは、「飛耳長目」を「耳を飛ばし情報を集め、長い目を持って思索することの実践」と表現しています。
吉田松陰(1830−1859)は、幕末の長州・萩で松下村塾を起こし、門下生の高杉晋作ら幕末の志士のほか明治維新を遂行した政治家にも大きな影響を与えた人物です。
黒船が到来しても鎖国政策を続け無為無策の幕府に対して世界の現実を知ろうと、ペリーの黒船で密航を企て結局は30歳の若さで獄死しましたが、近年ペリー提督の遠征記の翻訳本「日本紀行」を松蔭が読んでいたなど松蔭関係の新史料が相次いで発見されたそうです。
木村さんは、こうした史料を検証しながら「松蔭は地理、歴史、兵法に力をそそいだが、意外にも算数や経済も重視した」「経済的な裏づけなし国を憂いても空論に過ぎないと、総合教育を目指した」と。
また、諸国を旅し、議論を交わし見聞や教育法を、松下村塾で採り入れ、「飛耳長目」と大書した帳面を置いて国内外の情報などが門下生らによって日々加筆され、自由に閲覧できるよう公開されていたそうです。
情報公開、情報・知的財産の共有がすでに意識され実践されていたわけで驚きです。木村さんは「これにより、萩の地でも江戸と変わらない情報を入手し把握できた」「再獄されても門下生による情報収集は進められ、これによって松蔭は時勢を的確にとらえ、意見書や著述にまとめあげることができた」と分析しています。
アメリカ一辺倒でアジアで孤立する小泉政権の日本外交、さらには日本の中の和歌山県の将来像を考える時、「吉田松陰の飛耳長目精神」はもう一度見直されるべきではないでしょうか。