
増上寺境内の熊野神社で見つけた八咫烏

増上寺三解脱門と背後にそびえる東京タワー
4日の朝、東京港区芝の増上寺を参拝したところ、境内に熊野神社があり水舎などに朱色の背景も鮮やかな八咫烏(やたがらす)が刻まれているではありませんか。熊野三山と熊野信仰の奥深さを熊野速玉大社の秘宝展で感じたことを文化の日の3日のブログで書いたばかり。不思議な出会いに感動しています。 伯父の通夜にどうしても参列したくて日帰りの強行軍で茨城県・取手市へ。しかし、なつかしい親戚が集まり昔話がはずんで羽田から関空への最終便に乗りそびれ、モノレール駅のある浜松町近くのホテルに泊まるはめになったのです。
ホテルを探しながら歩くと、ライトアップされた東京タワーをバックに浄土宗大本山 芝の増上寺の三門(三解脱門)がきれいに浮き上がっていました。「せっかくなら」と今朝疲れた体に鞭打って参拝してきたのです。「むさぼり」「いかり」「おろかさ」の3つの煩悩を解脱(げだつ)するという三門をくぐって参拝。清々しい気持ちで帰る際に、境内の一角、三門の脇に熊野神社と八咫烏を見つけました。まさに「早起きは三文の得」という気分です。
「大本山増上寺熊野みこし講」が立てた「三本足の烏八咫烏」の説明板には「日本書紀によると、神武天皇が天下統治のため、紀の国(和歌山)の熊野に上陸、道に迷った際、日輪の中の天照大神より天から八咫烏を使わそう。道案内するであろうからついていきなさい、とおさとしがありました。そうして無事山越えが出来まさに神のお導きという言い伝えをがのこされています」とあります。また、そのルーツは中国で三本足の烏が太陽の象徴と考えられ、それが日本にも伝わったとみられること、「天皇の即位の礼に立てられるのぼりの紋様に八咫烏が使われている」こと、日本サッカー協会(JFA)もシンボルマークに使っていることなどがかなり詳しく触れられています。
同みこし講は、昭和49年の発足当初から八咫烏を「代紋とさせていただいた」と記しています。うれしいことです。東京タワーが立つ大都会の真ん中でちゃんと信仰と伝説が大事に守られているのです。
私も、和歌山に来て熊野の守り神といわれる八咫烏の存在がずっと気になっています。大和朝廷のルーツを解く手がかりを三本足の烏が握っているような気さえします。中国、朝鮮半島から全国各地に残る八咫烏伝説。熊野信仰の広がりと奥深さ。和歌山県としてはもっとこだわっていいテーマではないでしょうか。