
(大阪公演での神坂次郎先生=右)
和歌山市在住の作家、神坂次郎さんが第2次世界大戦中の特攻隊員の実像を追ったノンフィクション「今日われ生きてあり」を原作にした前進座の舞台公演が12月5日に田辺市で12月6日に和歌山市で開かれます。今年は戦後60年、戦争の不条理、悲惨さを知る世代も少なくなり、イラク戦争への自衛隊派遣や憲法改正の動きなど大きな節目を迎えていています。右や左のイデオロギー抜きで出来るだけ多くの人に、出来れば若い人にぜひ見てほしい公演です。この作品の舞台は、戦争末期に鹿児島県薩摩半島にある知覧(ちらん)にあった特別攻撃隊(特攻)基地。飛行機に片道の燃料と爆弾を積んで米国の敵艦に体当たり攻撃するため次々と出撃して亡くなっていった特攻隊員の記録文学です。神坂さんは、東京陸軍航空学校に入校、飛行兵として知覧を体験されていますが、愛知県小牧基地で18歳の時終戦を迎えました。戦後は一時新劇の演出にかかわったりした後、帰郷して土木技師として働きながら歴史小説などを書き始め作家として活躍されます。
「死にかけた者として、亡き隊員たちの声を伝えたい」。作家として最も書き残したいテーマは、「特攻で散っていった若者たち」だったそうですが、取り組み始めたのは戦後37年もたった1982年のことです。戦後初めて知覧を訪れ、亡くなった特攻隊員の名を刻んだ石碑に偶然自分と同姓同名の名を見つけ、「逃げてばかりではだめだ」とようやく覚悟を決めたといいます。それほど重いテーマだったと推察します。
以来無名のまま亡くなって行った隊員たちの手紙や日記を丹念に読み、遺族や関係者から話を聞き、遺族の了解を取りながら、感情やイデオロギーを排して事実を淡々と書き刻む作業を続けてこられたのです。「今日われ生きてあり」(1985年新潮社から刊行)はその最初の著作。今年出版された「特攻隊員たちへの鎮魂歌」(PHP研究所)は集大成です。神坂さんは「関係者も資料も少なくなり、これが限界で、特攻をテーマした著作は最後にする」と話されています。 前進座の公演は、1991年が初演、戦後60年の今年は8月に東京、大阪、11月、12月と全国を回ります。
私は、8月23日大阪の厚生年金会館での公演を拝見しました。とにかく涙が止まらないのです。二十歳にも満たない特攻隊員たちは死を覚悟して思い悩むのですが、最後はすべてを腹に飲み込み、遺書や直前の言動は、両親や兄弟、若い妻や許婚、残る隊員や旅館の人々へのやさしさに溢れています。フィクションでない事実と言葉の重み。前進座の公演も原作をかなり忠実に舞台化しており、60年前無念にも散っていかざるをえなかった若者たちの声が、神坂次郎という作家、前進座俳優の演技を通して生々しく蘇ってくるのです。
神坂先生には、和歌山放送の番組審議会の委員をしていただいているのですが、20年以上このテーマを追い、全国の関係者を取材して書き続けた作家魂に改めて脱帽しました。また、これはジャーナリズム魂と言い換えてもいいと思うのですが、「これは新聞社がやらねばならなかったテーマではなかったのか」と、新聞社で30年記者をした私としては、後ろめたい複雑な感情にもとらわれました。
ぜひ神坂先生の地元和歌山でも多くの人に見てほしいな、と公演終了後思っていたところ、和歌山放送に前進座から主催依頼が舞い込みました。これも何かの縁だなと、喜んでお引き受けした次第です。
(前進座の公演「今日われ生きてあり」は、12月5日の午後2時から田辺市の紀南文化会館大ホールでまた12月6日の午後2時と午後6時から和歌山市の市民会館小ホールで行われます。チケットは、和歌山放送や劇団前進座などで販売されています)