2006年03月20日

紀尾井町の紀は・・・

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(紀州藩の庭園跡を活かした清水谷公園。遠方に見えるのが赤坂プリンスホテル)


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(清水谷公園からはホテルニューオータニも見える)
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(清水谷公園には、現在の周辺図と江戸の絵図も)
 先週日本民間放送連盟の定時総会で東京の赤坂プリンスホテルに行く機会がありましたが、このホテルから民放連のビル、紀尾井町ビルにかけての一帯は、江戸時代、紀州徳川藩の藩邸だったと知り驚きました。その直前に在京和歌山県人会で紀州徳川家19代目(在京和歌山県人会の記事で18代目と書いたのは私の聞き間違いでした。おわびして訂正します)にあたる徳川宜子さんとお会いしたばかりで、東京での新しい発見に不思議な縁を感じました。 会議まで少し時間があったのを利用していつものように街を歩きました。地下鉄赤坂見附から弁慶橋を通り、赤坂プリンスホテルとホテルニューオータニの間の道を北に歩くと、右手に閑静な清水谷公園があったのです。そこが何と紀州徳川藩の藩邸跡だったのです。公園に碑があり、赤坂プリンスホテルから文芸春秋社、紀尾井町ビル、清水谷公園にいたる広大な土地が紀州藩の上屋敷があったところだそうです。
 また隣のホテルニューオータニ周辺は、彦根井伊家の藩邸、さらに現在上智大の周辺は尾張徳川藩の藩邸が会ったところで、明治になってこの3つの藩の頭文字をとって「紀尾井町」という町名になったといいます。
 何度も赤坂プリンスホテルには行きましたが、恥ずかしながらはじめて知りました。知る人ぞ知る事実なのでしょうが、街を歩いてこんな新発見があるとうれしくなってしまいます。
posted by wbs at 21:21| Comment(0) | ディスカバーワカヤマ
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