□母の死
5月27日に母・中島三重子が亡くなりました。89歳でした。
家族の愛情がすべてという母で、美人でプライドも高く小さい時から家族にとっては自慢の母でした。ここ10年余難病のパーキンソン病と気丈に闘い、3年前からは病院、介護施設の入退院を繰り返し、今年に入ってからはMRSAの院内感染で危ない状態に陥りましたが、孫(私の長男)の結婚式、花嫁を見たい、という思いから病院から介護施設に生還。家族もほっとした直後、夜間にタンをのどに詰まらせてあっけなく亡くなりました。
最後は、体の自由が利かない痛々しい姿でしたが、人としての尊厳、プライドを失わず「元気になる、もう一度歩く」という希望を失わない、あきらめないその精神力にわが子ながら尊敬し、頭が下がりました。母は30年前になくなった父とともに洗礼をうけ、クリスチャンなのですが、磔の刑を受けてもめげないキリストの姿とだぶり、仏教での「即身成仏」という言葉さえ浮かんできました。
和歌山から夜間高速道路を走って事実上死に目にはあえなかったのですが、安らかかな顔だったのが救いでした。
5月30日には、決算取締役会が予定されており、京都聖マリア教会で27日通夜、28日告別式を家族のみで行いました。それでも遠路駆けつけて下さった方々も多く心から感謝しております。またあわただしい日程で連絡ができず失礼があったことをご容赦ください。
7月16日には、同じ教会で50日祭(仏教の49日にあたる)も無事済ますことができました。心からお礼申し上げます。
ブログの休載と母の死は、直接関係ないのですが、直後の取締役会や株主総会、無二の親友の死、グアムで長男の結婚式・・・と、さまざまなことが重なり、体力、気力とも最悪に陥り、ブログを休んでいました。この間体力・気力の回復のため7月3日の誕生日を期して禁煙をしましたが、このニコチン中毒との闘いが実はもっとも曲者で、ブログ休載の最大の要因ではないかと思います。
新聞記者時代から、タバコを吸うのが記事を書く際のリズムとなっており(そう思い込んでおり)、パソコンに向かうと、ぐっと欲しくなってしまうのです。
禁煙2ヶ月、気持ちは二度とニコチン中毒の生活に戻る気はないと固く誓っているのですが、まだまだ脳細胞や体の細胞が近くで吸う人の煙に反応するのが分かりるほどです。
休載中の3ヶ月の間にも、和歌山放送が発信するさまざまな行事・イベントもたくさんありました。9月からブログを再開すると同時にこの間の出来事も随時報告していきます。


