
江戸時代のころより 百年来続くという 風情ある奉納花火を有田川で満喫してきました。全国でハデさを競う豪華な花火とはいえませんが、「弘法大師の命日の前夜祭として有田川の夜空を彩る」として有名で、井ノ口大師山奉賛会の方々が、この日一日近くのお寺から弘法大師の像を川原に安置し、二十日会式として奉納花火大会を開いているそうです。河川敷には夜店が軒を連ね、盆で故郷に帰ってきた家族連れなどで予想以上の賑わい。有田川の河原のすぐ近くでドーンと腹にこたえる花火の音も久しぶりで、歴史と伝統が残る日本の田舎の夏を堪能することが出来ました。



(夜店の先、有田川上流方の河原に設けられた出開帳)

(有田川河川敷に設けられた夜店には家族連れ、カップルで賑わった)
この日は、井ノ口大師山で参拝客のために釣鐘堂を解放し、自由に願いを込めて釣鐘をつくことも出来たようです。二十日の晩会式は、大師山山頂から午後7時半ごろ 「御渡り」が山頂から出発し、提灯を持って、田殿橋を渡り出開張へと向かい、午後8時ごろから出開張でお勤めが始まるという伝統の行事で、江戸時代より今日まで弘法大師の信仰のもとに地元の人たちの努力で引き継いできたというのは大変なことで脱帽です。
奉賛会のホームページなどによると、かっては「村人より納められた麦初穂で薬品を購入し、自ら火薬を調合し手作りの花火をあげたのが始まりと言い伝えられています」「川には参拝客を運ぶ渡し舟は行き交い、サーカス・のぞき・化け物小屋等が建ち、ローソクを灯したそれぞれの貸し舟はそれが貸し時間の目安とされたそうです」
また「客は夜の舟遊び、灯ろう流しの灯火が川面に揺れ、故郷の詩情を描き上げていました。遠くの村々から山を越え、川をわたり、田のあぜ道は人々の列が長々と続いたとのことです」ともあります。
私が到着したのは午後8時過ぎで、ちょうど花火が始まるところ。最初は5発上がって5分休み、全体でも約200発といい、都会のハデな花火大会と比べてのどかなものでしたが、夜店の数や橋に連なるちょうちん、地域の人々の表情にその歴史が脈々と息づいている重みを感じました。
花火のクライマックッスも、有田川の河原を赤々と浮き上がらせ、見物客からは歓声と拍手が上がっていました。私も久しぶりの花火に童心にかえって感動しました。
こうした奉納花火大会との二十日の晩会式を、ずっと守ってこられた井ノ口大師山奉賛会など地元の方々のご努力に心から感謝します。ありがとうございました。