2007年10月30日

紀伊和歌山藩徳川家屋敷跡

◎紀伊和歌山藩徳川家屋敷跡石碑

民放連の大会で、東京赤坂のグランドプリンスホテル赤坂(赤坂プリンスホテル)にいきましたが、地下鉄赤坂見附の駅地下道を上がり弁慶橋を渡ってすぐホテルの入り口に新たに「紀伊和歌山藩徳川家屋敷跡」と刻まれた石碑と説明板を見つけました。この一帯が紀州藩邸跡で清水谷公園に「紀尾井町」の由来の説明板
を見つけて感動したことがありますが、こんな目立ったところにもあったとは。



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20071030~.jpg 説明板には「この一帯には、紀伊和歌山藩徳川家の麹町邸がありました。明暦3年(1657)の大火の後この地を拝領しました。紀伊徳川家は徳川家康の十男頼宣で始まる家で、尾張家(九男義直)、水戸家(十一男頼房)と称されました」とあります。
 説明板はさらに「頼宣は慶長8年(1603)常陸水戸藩主ついで慶長14年(1609)駿河府中藩主を経て、元和5年(1619)に紀伊和歌山藩主となり紀伊国と伊勢国の一部を領地としました。
 紀伊徳川家は以後14代にわたって明治維新まで続きましたが、その中で8代将軍吉宗と14代将軍家茂は藩主から将軍の座についています。石高はほぼ55万5000石でした。
 明治5年この地域は、紀伊徳川家、尾張徳川家、井伊家の頭文字を合わせて『紀尾井町』という地名になりました」としている。



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posted by wbs at 16:51| Comment(0) | あちこちの話
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